6月6日(土)
雨が降らないようで、傘を持たないで出かける。西荻窪からバスで上石神井まで行き、西武線に乗って所沢まで。彩の国古本まつり、1階を見て上の会場へ。前回、初めて来たとき、会場の広さに唖然としたものだ。今日は関心ないもの・場所は飛ばして行く。途中で立ち止まって見る。その繰り返しだが、1時間経ったのに半分も見ていない。3時間ほどいたことになる。精算したら2000円以上になっていたので地元の野菜(みずな)がお土産で貰らった。帰りは西武線の駅から歩いて帰るつもりだったが膝が痛くなってしまったので、帰りもバスに乗って帰る。バスだとあっという間に着いてしまう。行き帰りの車中で、茨木のり子【うたの心に生きた人々】ちくま文庫を読む。与謝野晶子、高村光太郎、山之口貘、金子光晴の四人が取り上げられている。山之口貘の項に惹きつけられる。一度、読んだような気がするが、こういう詩人もいたんだと改めて思う。ボヘミアン詩人、いわく貧乏詩人の貘さん、いわく借金屋貘さん、便所の汲み取り人だった貘さん。それでも「精神の貴族」と呼ばれているのです。佐藤春夫、金子光晴にときには援助してもらいながらの生活。そのエピソードが愉快だ。元気なころに「告別式」というものも書いている。彼の詩は簡単に出来ているのかと思ったら、推敲しながら書いているという。ある日、文学散歩で娘さんと三鷹の禅林寺に行ったとき、『鴎外は森林太郎之墓と本名で刻まれてるからいいけれど、太宰治はかわいそうだね。ペンネームで刻まれちゃったりして。』(森鴎外と太宰治の墓は向かい合って立っている。)このことを娘さんが覚えていて、山之口でなく山口家の墓と本名で書かれているようだ。この本は今年初めて★4つです。他の3人のもいいです。
妹へおくる手紙 山之口貘
なんという妹なんだろう
― 兄さんはきっと成功なさると信じています。 とか
― 兄さんはいま東京のどこにいるのでしょう。 とか
人づてによこしたその音信のなかに
妹の眼をかんじながら
僕もまた、六、七年ぶりに手紙を書こうとはするのです
この兄さんは
成功しようかどうしょうか結婚でもしたいと思うのです
そんなことは書けないのです
東京にいて兄さんは犬のようにものほしげな顔しています
そんなことも書かないのです
兄さんは、住所不定なのです
とはますます書けないのです
如実的な一切を書けなくなって
といつめられているかのように身動きも出来なくなってしまい、満身の力をこめて
やっとの思いで書いたのです。
ミンナゲンキカ
と、書いたのです。
この詩を読んで、茨木のり子さんはなんだかおかしくなって、くりかえし読むと哀しくなってきて、人間そのもへのいとしさがふつふつとわいてきて、忘れがたい詩だと書いています。