9月27日(日)
天気は良いのだが、身体的・精神的に不安定で、部屋でじっとしている。井草八幡宮の祭りで神輿が通るが何の感慨も覚えない。青梅通りには商店街の名前を入れた提燈が並んでいることに気づく。夕食を摂ってから、地元の古本屋を巡るが何もこれといったものはない。なのに、バックが膨れる。出久根達郎【いつのまにやら本の虫】講談社文庫・エッセイを読む。文庫本で、短いのは1ページ分もないので、今の私にも読めると思って手に取った。そこにこんなことが書いてあった。新刊書店・大型店舗に勤める27歳の人が、年数が経つにつれフラストレーションがたまってくる。どうしてかと思うと新刊書店では、本の話をお客と存分にできない。ある一軒の古本屋に入って、無愛想だと思った店主が気軽に本の話・本にまつわるエピソードをいっぱい語ってくれた。その新刊書店に勤める人が、客と思う存分に本の話が出来る古本屋に転職したのだ。古本屋の店主がいう。
客と積極的に対話せよ。まずそう言われた。Kさんの望むところである。
店主は言う。書物の世界は広く深い。自分一人の力で見る範囲は限られる。客と話をすることで客の知識を盗む。十人の客と語れば、十冊、いやそれ以上の本を読んだのと同じである。しかし盗むだけでは客がいやがる。店主も勉強し、客に与えなければならない。
本の好きな客は、本の話をすることもまた好きなのだ、という店主の言葉は、Kさんには身にしみてわかった。本屋は本を売るわけでなく、本の話を交わす場でもある、とこれまた、なるほどと納得したが、さて現実となると古本屋はともかく、新刊書店ではいかがなものか。Kさんはそちらの現状を見てきた人である。
秋の
不忍ブックストリート・一箱古本市の店主マニュアルが届いていたので、じっくりと見る。この一箱古本市の原点が本の話を交わす場でもあるような気がする。が、それに伴っていないのが私の実情だったりする。アーア。