11月5日(木)
萩原葉子【束の間の午後】中公文庫を読む。この本の解説を宇野千代が書いている。
萩原葉子さんは小説の名手ではない。どちらかと言うと、下手な小説を書く人である。それだのに、萩原さんの作品を読むと、人は魂をえぐられたような気持になる。どんな作品を読んだあとにも感じることのない、強烈な感動をうける。あの一世を震撼させた「蕁麻の家」が雑誌に出たとき、私は故郷の岩国にいた。岩国の家で、最初の一頁から心を捕えられ、一気に読み了えると、そばにはいない葉子さんの体を、後からひしと抱きとめ、「葉子さん、あなた、そこは危い!そこまで行かないで!」と言って抱きとめたい、と思い、すぐに東京の萩原さんの家まで電話をかけたが、そのとき、私が何を言ったか、いまは思い出せない。私はとめどなく涙が流れた。葉子さんの魂が傷いて、鮮血が迸っているようなのを、目のあたり、見ているような気がしたからである。
大抵の人が文庫本の解説を先に読むのは邪道のようなことを言う人が多いが、私は一向に気にならない。それどころか、読む進めていくのに参考になることが多々あるように思う。そうか、こういうことが書かれているのか、と思うことが多いのである。何篇かあったが最初の【対岸の人】は、すごかった。結婚生活が描かれているが、自分の感情をそのまま書かれているような文章だ。戦争時分のときだろうが、何を心の支えに生きていたのだろうか。夫との痛ましく、やりきれない生活が、これまでか、これまでかと気持ち悪くなるように出てくる。宇野千代のいう「人は魂をえぐられたような気持になる」、まさしくその通りだ。
無事、広島にダンボールを送る。夜、広島へいくための準備をと思ったが11時過ぎに寝てしまった。アチャアー、チャーなのだ。