4月11日(水)
富岡幸一郎【作家との一時間】日本文芸社をパラパラと眺めていたら、古井由吉の名前が載っていたので読んでみることにする。その前に、田中小実昌の方を先に読む。この対談、田中小実昌の方は、ノリ気でないような感じだ。いつも、こんなのだろうか。富岡の行が何行もあるのに、田中の方は、一行が多いのだ。古井由吉の方は、逆だ。
古井 ほんとうは時間を書くことは、おのずと空間を書くことで、空間を書くことは、要するに時間を書くことであるはずなんです。ところが、私たちは、時間にも、空間にも飢えていながら、時間を書こうとすると、とかくそこから空間がなくなってしまう。空間を書くと、丁寧にやればやるほど、時間がなくなる。きれいな言い方をすると、永遠の相を書きとめちゃうんですよ。だけど、作品ごとに永遠の相を書きとめたり、一篇の中で何度も永遠の相を書きとめるなんて、そんなことあるもんじゃない。もうちょっと、時間と空間が相即するような書き方はないものか。そう思ったとき、やはりエッセイか、日記に近いようなもので辛抱するに如くはない、となった。
音羽館の店頭で、夏葉社の島田さんに声を掛けられる、ちょっと立ち話をする。20日発行の本の営業で忙しい毎日なようだ。歩いて吉祥寺まで行き、直ぐに歩いて帰る。ちょっと小雨が降ってきた。風が吹くと、もう桜の花びらが舞っていた。