3月19日(月)
夕食のカレーライスを腹一杯食べたら寝てしまった。が、『お風呂、お風呂』と呼ぶ声で起こされてしまった。風呂に入ったら、今度は寝れないので、矢部登【結城信一抄】を読む。先日の茶話会で矢部登さんの書かれた【田端抄】のことを聞いた。そして、その夜に【田端抄】を読んだ。田端のこと、そこに住んでいた文人のことを聞いた後であり、すんなりではないが読めた。文章を読むたびに高揚感、興奮感が出てくるのがわかった。こんなことも近頃では珍しい。文章も飾り気がないのにどうしたことか。私も田端の横の駒込に住んでいたが、六義園の方には足をのばしたことがあるが、駒込駅のガード下をくぐったことがなかった。去年の暮れに石英書房さんに行く時、初めてガードをくぐって田端に向かった。霜降銀座商店街の上部に住んでいたのに、その直線上にあるガードをくぐることがなかったのが不思議なくらいだ。【結城信一抄】、結城信一のことが少しわかる。駒井哲郎が友人なのか、室生犀星の研究家でもあるのか、死への思いのほか。「いのちの作家」という矢部さんの思いが詰まった本なのだ。元々、結城信一という名は、荒川洋治さんの本の中で知った作家である。その荒川洋治さんの紫陽社で発行された本だ。
そんな結城さんを評して、《正座の人》《楷書の人》《俗にまみれることができなかった人》、と和泉克雄は書いている。